元レッドブル・ジュニアのその時&その後 (1)

 

レッドブルが自らのドライバー育成プログラム「レッドブル・ジュニアチーム」を設立したのは2001年のこと。それまでも個別にチームやドライバーのサポートは行っていましたが、ヘルムート・マルコをトップに、独立したプログラムとして組織されました。翌02年からは同プロラグムの米国版「レッドブル・ドライバーサーチ」もスタートしています(05年にジュニアチームとの統合により終了)。

設立当初はレッドブルの地元・オーストリア人ドライバーが多数を占めていましたが、その後対象は世界各国に拡大。これまでに輩出したF1ドライバーは、レッドブル&トロ・ロッソ (STR) 以外からのデビューも含めれば、実に18人にも上ります。またこれまでにジュニアチームに所属経験のあるドライバーに至っては約80人 (!) 当然ながら同様のスキームを持つフェラーリやルノーなどを圧倒的に上回る数字です。

18年現在、F1世界チャンピオン1人&優勝経験者3人という成果を成功と見るか、効果が低いと見るかは人によって評価の分かれるところでしょうが、F1まで辿り着くだけでも至難の業の中、これだけのドライバーを世に送り出してきたことは素直に評価されるべきでしょう。

ただ近年はその成果、およびモータースポーツ界への貢献の反面、ドライバーの見切りがあまりにも早かったり、マネージメントを含めあらゆる決定権をレッドブルに握られるといった”負の側面”も広く知られるようになって来ました。昨年末にサポートを打ち切られたRichard Verschoorも「露出という面では良かったけど、レッドブルからはただプレッシャーを与えられただけだった」とそのやり方を非難しています(Dutch teen Verschoor to lose Red Bull junior status)。

しかし多くの才能あるドライバーが資金集めで苦労する中、彼らのキャリアを救ってきたのもまた事実。ジュニアチームを離れてからも感謝するドライバーも多く、まさに賛否両論といったところです。ただ一つ言えるのは「カネと環境はこちらで全て用意するので、レースだけに集中しろ。あとはキミの成績次第だ」というのは、大きなプレッシャーの反面、実にシンプルでわかりやすい評価基準でもあるということですね。

今回は元レッドブル・ジュニアの中から、残念ながらF1まで辿り着けなかったドライバーを独断で10人ピックアップし、3回に分けてその時&その後のキャリアを紹介したいと思います(カッコ内はジュニアチーム所属期間)。

 

 

Michael Ammermüller (Germany 2004-2007)

小林可夢偉をキャリア初期の頃から追っていた方は、もしかしたらご存知かもしれません。

フォーミュラ・トヨタ卒業後、欧州に渡った可夢偉の前に立ちはだかったのが、当時既にレッドブル・ジュニアに選ばれていたAmmermullerでした。05年のフォーミュラ・ルノー (FR) 2.0、Eurocupとイタリアの両シリーズで二人はタイトル争いを展開。結果はいずれも可夢偉が勝利しましたが、それでもレッドブルからは高い評価を得ます。

その証拠に、06年にはFR2.0からいきなりGP2へと飛び級昇格。その上、デビュー戦のレース2でいきなり優勝という活躍を見せます。更にシーズン終盤には、クリスチャン・クリエンがレッドブルF1のシートを失い、当時テストドライバーだったロベルト・ドーンボスがレギュラーに昇格したため、空いた金曜テストドライバーの座にも抜擢されました。フォーミュラ・デビューから僅か3年足らずでのF1到達で、翌年には正式にレッドブル/STRのテスト&リザーブドライバーに就任するなど、まさにバラ色の未来が待っているように見えました。

しかし好事魔多し。07年に事態は一変します。

ニコ・ロズベルグ、ルイス・ハミルトンと2年連続でチャンピオンを輩出した強豪ARTに移籍し、チャンピオン候補筆頭として迎えたGP2開幕戦でしたが、中嶋一貴と接触し手首を負傷。2ラウンドを欠場する羽目に陥ります。当初は軽く見られていましたが、この怪我が思わぬ影響を与えたか、チームメイトのルーカス・ディ・グラッシがタイトル争いを繰り広げる傍ら、復帰後も成績は全く奮わず。獲得したのは僅か1ポイントに止まり、シーズン途中で同じくレッドブル・ジュニアのメンバーだったセバスチャン・ブエミと交代させられてしまいます。

それでも当時FR3.5に参戦していたセバスチャン・ベッテルが、シーズン途中でF1レギュラーに昇格したことで、その空いたシートに収まります。しかしここでも期待されたような結果は残せず、こちらも僅か3ラウンドでまたも交代の憂き目に。そしてついにはジュニアチームからも解雇されてしまいました。

レッドブルのサポートを失った08年は2年前とは正反対に、GP2から2ランク下のInternational Formula Masterに参戦しますが、フォーミュラのキャリアはここまで。4輪デビューから僅か4年でのあまりにも大きなアップダウンでした。その後は10年にハコに転向しADAC GT Mastersなどに参戦します。

転機となったのは12年のポルシェ・カレラカップ・ドイツとスーパーカップへの参戦でした。ポルシェのカップレース最高峰であるスーパーカップでは、13年から3年連続ランキング3位を獲得し一躍トップドライバーの仲間入りを果たします。そして2017年。11戦中4勝を挙げたほか、表彰台10回という圧倒的強さでチャンピオンに輝き、世界中のポルシェ使いの頂点に立ちました。

今シーズンも引き続きポルシェのカップレースに参戦。先日のカレラカップ・ドイツ開幕戦オッシャースレーベンでは2連勝という最高のスタートを切っています。

 

 

Filipe Albuquerque (Portugal 2005-2007)

Filipe Albuquerque

Photo:Autosport.pt

カートの国内選手権でタイトル獲得後、レッドブル・ジュニアに選ばれ、05年スペインF3でフォーミュラ・レースにデビュー。「レッドブルの支援がなければ、レースを止めて家で進学のため勉強していた」と当時を振り返っています。シーズン途中からはFR2.0にも参戦し、翌年にはEurocupとNECのダブルタイトルを獲得。ユーロF3で2位となったベッテルを押しのけ、この年のRed Bull Junior of the Yearにも選出されました。

07年にはFR3.5にステップアップしランキング4位を獲得しますが、ベッテルがシーズン前半のみの出場ながら同5位の活躍を演じ、シーズン途中でF1昇格。ブエミら後輩の台頭も重なり、この年限りでレッドブル・ジュニアを離れることになります。

その後は”モータースポーツのワールドカップ”を謳ったA1GPで主に活動。2年目の08-09シーズンにはランキング3位の活躍を見せますが、シリーズ自体が消滅してしまい、フォーミュラのキャリアはここで終了します。

彼の名が一躍知れ渡ったのは2010年のRace of Champions。個人戦でベッテルやセバスチャン・ローブといった並み居るトップドライバーを破ってまさかの優勝! 一般的には全く無名だったドライバーの優勝は多くのファンや関係者を驚かせました。

09年からはイタリア国内のGTレースに転向し、翌年にはランキング2位に。その活躍が認められ、アウディのファクトリードライバーに選出。11〜13年はアウディからDTMに参戦します。

14年からは耐久レースにスイッチしLMP2をドライブ。ELMS/WECで2位ー3位ー2位ー2位と毎年タイトル争いを展開し、トップドライバーとしての地位を確立します。ル・マンでも14〜15年に3台目のアウディR18 e-tron quattroをドライブしたほか、昨年はLMP2のUnited Autosportから参戦し、総合5位を獲得しました。

また16年からは米国IMSAにも本格的に参戦を始め、昨年のデイトナ24H&セブリング12Hではいずれも2位。そして今年のデイトナ24Hではついに総合優勝を達成するなど、現在も耐久レースをメインに、プロトタイプ/GT/ストックカーとマルチに活躍中です。

 

 

Neel Jani (Switzerland 2005-2007)

Neel Jani

Photo:Wikipedia.de

03年にFR V6 Eurocup(後にWorld Seires by Nissanと合併してFR3.5に)でランキング2位(チャンピオンはホセ・マリア・ロペス、3位は松浦孝亮)を獲得し、ザウバー・ペトロナスで初のF1テストを経験。翌年も引き続きV6 Eurocupに参戦し5勝&PP9回の活躍を見せます。シーズンオフには当時ジャガーF1を買収したばかりの新レッドブルF1のテストに参加。そこでのパフォーマンスが評価されてレッドブル・ジュニアに選ばれます。

レッドブルの支援の下、05年はGP2にステップアップし、2勝を挙げランキング7位。翌年にはSTRの金曜テスト&サードドライバーに選ばれ、F1全戦に帯同します。当時のジュニアチーム内ではまだF3だったベッテルや、前述のAmmermuller & Albuquerqueより先を行っており、最もF1に近い存在でした。

しかし07年にレギュラー昇格は果たせず、アメリカに渡りチャンプカーに参戦します。この年STRではシーズン途中でスコット・スピードが解雇されシートに空きが出ましたが、そこに収まったのは当時BMWザウバーにレンタルされていたベッテルでした。

実はベッテルは当時のレッドブル陣営内ではそれほど高く評価されていたわけではなく、ベッテル自身もユーロF3でタイトルを逃した際にはサポートを失うのではと心配していたほどでした。そんなベッテルの素質を見抜いたのはBMW(マリオ・タイセン)で、06年にロバート・クビツァの後任として金曜ドライバーに抜擢するとF1関係者も驚くような速さを披露し、一躍注目の存在となって行ったわけです。BMWの抜擢がなければ、この時STRに昇格していたのはジャニだったかもしれません。

ただジャニの場合はレッドブルでは珍しい”円満退社”。実際、世界各地で行われたレッドブルのデモランに参加したり、10年にはテスト&シミュレータードライバーとしてチームをサポートし、ダブルタイトル獲得に貢献するなど、その後も良好な関係を保っています。

F1を目指す傍ら、ジャニは05-06シーズンからA1GPにも参戦。07-08シーズンにはスイス・チームをチャンピオンに導いたほか、シリーズ2位も2回獲得するなど、短命に終わったシリーズの中で最も成功したドライバーの一人となりました。フォーミュラでは他に”モータースポーツとサッカーの融合”を謳ったSuper League Formulaにもスポットで参加しています。

09年からは活動の中心を耐久レースに移し、同郷のRebellion Racingからル・マンやWEC等に参戦(チームメイトはニコラ・プロスト、ニック・ハイドフェルドなど)。中でも12年にはル・マン総合4位、プチ・ル・マン優勝の大活躍を演じます。それら一連のパフォーマンスが評価されて、14年最高峰クラスに復帰したポルシェのLMP1ドライバーに抜擢。16年にはル・マン総合優勝&シリーズチャンピオンに輝き、耐久レース界の頂点に立ちました。

現在もポルシェとのファクトリードライバー契約を継続する一方、古巣Rebellionに復帰しWEC 18/19スーパーシーズンにもフル参戦の予定です。

 

その(2)へ続きます。